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2025年2月26日の本会議では、市長の施政方針に対する、会派代表からの質疑が行われました。我が会派ワクワクはたらくからは宮代議員が質問しました。

施政方針演説は、小美濃市長にとって2度目となりますが、昨年は当選後すぐのタイミングであったため、今回が初めての本格的な予算編成であるとして、さまざま突っ込んだ質疑がなされました(昨年は公約についての質疑がとにかく多かった記憶があります)。

施政方針の内容まとめはこちら

私自身の施政方針への感想は、内容が個別具体であるがゆえに公平性が気になるな…というものでした。かいつまんだ施策が並んでいるのですが、全体感とバランスが捉えにくいということです(最近の課題感を通ずるところがあるため、ちょっと指摘が多くなりますが、これを書くことで次の議論に繋げさせてください)。

これはおそらく施政方針における基本的な考えの部分が以前に比べて簡略化され、また国や都の動きの部分も割愛されたことから、各論の施策の部分が全体の配分の中で多く感じられたのかなと思っています。

確かに演説の際、いつもよりだいぶ早いなと感じたのですが(前は1時間半近くかかっていた気がするのですが1時間で終了)、全体の分量自体が大幅に減っているのでそりゃそうだとなったわけです。

このことについては賛否両論あると思います。施政方針というもの自体を長々とする必要はないのかもしれませんし、ダラダラ書くよりいいというのもわかります。ただその場合各論となる施策の部分は、公平性を鑑みてもう少し記述の仕方を考えるとか、演説する箇所には入れないといった工夫も必要かもしれません。実際、演説の箇所にはないけれども、目玉のような施策というのは他にも多数あります。その中でなぜこれをピックアップしたんだろうという疑問が残ります。

そもそも予算の集中審議は特別委員会でやるわけで、個別具体的な施策はあとでいいのです。施政方針は方針ですから、大枠の課題認識、問題提起などがもっとあると良かったと思います。

先日の長期計画の全員協議会においても、長期計画の抽象・具体レベルをどこまでに設定していくのかという問題提起をしました。

武蔵野市は計画行政を重視しており、それ自体は良いことだと思うのですが、同じような作業が多数発生していること、策定プロセスにおける整理ができていないことが課題と考えています。

その中で長期計画という一番おおもとになるものについて、あまりに具体化しすぎているのではないかという課題感を持っています。そこまで具体的にするのであれば個別計画はなんなんだということになるからです。

これは長期計画条例などに基づいているのでそこから変えなくてはなりませんが、この条例ができた当時に比べて個別計画の存在感が大きくなっていることから、長期計画の役割自体を見直す必要があると思います。

長期計画、そして毎年の予算編成方針である施政方針においては、もう少し抽象レベルをあげて、今武蔵野市が、日本がどのような局面に立たされているのか、どのような課題を認識しているのかといった、議論の前提となる情報の共有、共通認識を持つためのものにしたほうが良いのではないでしょうか。

今日の各会派からの質疑もどうしても個別的な話になってしまい、予算特別委員会ではそれはやらないの?と思うわけです。結局役割が重なってしまっていて、議論の場としてもったいないと感じます。

ということで今日は施政方針の個別具体的な内容ではなく、全体感、構成についてコメントしました。施政方針の中身についてはYouTubeでもお話していますのでぜひご覧ください。

明日から2日間は各議員からの一般質問が行われます。私は28日のお昼前後に登壇予定です。